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バンクーバー島から見たり聴いたり

トロント生活40余年の後に西海岸
ブリティッシュ・コロンビア州の首都
ビクトリア市に国内移住。
新たな街からの生のニュースを
バンクーバー発行の日本語誌
「バンクーバー新報」に2017年より新連載。
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エポックメーキングの年

すでに去年の出来事になってしまったが、2017年はカナダに取って大きなエポックメーキングの年であった。建国150年目という記念すべき年で、周知の通り各地で様々な行事が展開された。

 

 

逆算すると1867年がその一年目となるわけである。それはNAJC40年前に定めた日本からの移民一号とされる永野万蔵が、カナダに足を踏み入れた1877年よりも10年前のことになる。

 

この「永野万蔵パイオニア説」には確たる証拠がないと言われるものの、その年辺りに日本人移民がビクトリア周辺に来ていたことは確かである。となれば去年は大体140年目であったわけだ。

 

加えて第二次世界大戦勃発で、カナダ政府が日系移民をロッキー山脈の麓に強制収容してから75周年目。戦後移住者が来加してから50周年目で、トロントでもバンクーバーでも祝賀会が催された。

 

では2018年はどうかと言えば、これまた大きな記念の年で「日加外交関係樹立90周年」という節目にあたるのだ。だがここで注意しなければならないのは、90周年には二つの考え方があることだ。

 

確かにカナダが日本に公館を設置したのは90年前であるが、日本がカナダに公館を設けたのは一年後であった。これを考えると来年が90周年となるようだ。

 

だがオタワの日本大使館のブログには以下のようなロゴをすでに掲載されている。

カナダと日本の国旗の象徴の色である赤と白を基調にして、日の丸と楓を富士山とロッキー山脈の中に埋め込み、スッキリしたデザインになっている。

 

 

129日には訪日中のジョン・ホーガンBC州首相が、岡本光成外務大臣政務官を表敬訪問し、貿易、青少年交流など幅広い分野に渡っての意見交換をした。その中にはBC州で活動する在留邦人、日系人に対しての支援を引き続き行って欲しいと要請もしている。これに対しホーガン首相は「喜んで支援したい」と返答したと言う。

 

ジョン・ホーガンカナダBC州首相と岡本三成外務大臣政務官(中央二人)

 

では具体的にどのようなことが支援されるのかは、一般人には今一つ定かでない。しかしこの90年の間には、前記のように開戦と同時に日系人の強制収容が行われた。隣国のお騒がせ大統領の例を見るまでもなく、どの国においても一国の対外政策と言うのは、一歩間違えば思わぬ方向に動いてしまう。今後とも日加間に同じような悲劇が起こらないことを切に願いたい。

 

さてカナダではこのように両国間の絆を強める年になるが、米国に目を向ければ、折りも折り日本人移民が初めてハワイに渡ってから150年目になると言う。炎天下のサトウキビ畑での過酷な労働は、想像を絶したと語り継がれている。

 

 

一方本土の日本人移民は、カナダと同様に強制収容されたが、そに伴う政府の措置はカナダの方がより厳しかったとか。しかし米国への移民たちも排日の波で辛苦をなめたのは同じである。

 

最近2011年に発行されたカルフォルニア州の南加庭園業連盟からの小冊子「北米川柳道しるべ」「ガーデナー風雲録」を入手した。ここには移民たちが詠んだ戦前からの川柳が見事にまとめられており、編者であるロスアンゼルス在住の関三脚氏(www.sunnyseki.com)の努力を称賛したい。

 

 

手先が器用なことと土地柄が相まって、移民たちの仕事はガーデナー(庭師)が主流を占め、従事していた人々の喜怒哀楽が連綿と綴られている。

 

幾つかを拾って見ると:

 

移民たちが次々と抑圧されることに手をこまねく日々−

   *排日に薬ないかと腕を組み

 

当時の結婚は写真婚が主。移民の男性も受ける日本の女性も会って見れば−

   *待ちに待ち見れば写真と大違い

 

アメリカに行けば金持ちになると思っている日本の家族に−

   *こちらにも金の成る木は無いと書き

 

漁業に従事した人もいたようで−

  *波までがジャップジャップと船に寄せ

 

苦労の末に子供に教育を受けさせても−

  *秀才も雇ってくれぬ肌の色

 

とは言え、生来が我慢強い日本人。米国に行った移民も、カナダに来た移民も歯を食いしばって生き抜いた。

 

ビクトリアにも残る幾つかの日系人墓地もしかりであるが、心に沁みる一句は−

  *無縁塚風に吹かれて母国向き

 

先日のアカデミー賞のメーキャップ&ヘアスタイリング部門で受賞した辻一弘氏の快挙は、才能と努力はもとより、やはり手先の器用さが物を言ったのであろう。

 

鬼籍に入った戦前の移民たちもきっと大きな拍手を送っているに違いない。

 

 

 

 

 

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