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バンクーバー島から    見たり聴いたり

トロント生活40余年の後に西海岸ブリティッシュ・コロンビア州の首都ビクトリア市に国内移住。新たな街からの生のニュースをバンクーバー発行の日本語誌「バンクーバー新報」に2017年より新連載。
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不正義の全景

 

 

2017 年のカナダは建国150周年を迎えているため、関連の行事が各地で繰り広げられている。この記念すべき一年は、また日系カナダ人や日本人移住者たちに取っても非常に意味のあるエポック・メーキングの年である。

 

まずはカナダ移民第一号と言われる永野萬蔵が来加してから140年目に当たるのだ。しかし最近の歴史家の調査によると、もっと信憑性のある新説も唱えられ萬蔵説に多少陰りも見える。

 

だがこれは驚くには当たらない。歴史とは常にそういうものであるが、今の所はまだ長崎県口之津の小さな漁村出身の19歳の若者が、1877年にカナダに一歩を踏んだパイオニアと言うことになっている。

 

同時期には同じように、漁村、農村の長男以下の若い男たちが仕事を求めカナダにやって来た。その後一応仕事が安定してから写真婚などで女性たちを呼び寄せ、家族を形成しカナダの日系史が徐々に積み重ねられていった。新開拓地ではその多くが農業や漁業に従事し、真面目に働き生活を築いたのである。

 

しかし残念なことに、1941 128日に母国日本が、第二次世界大戦に参戦し真珠湾を攻撃したことで、米国ばかりではなくカナダの日本人移民たちの生活も一変した。つまり一夜で「敵国人」となってしまった彼らは、政府の命令で19422月までに、ロッキー山脈の麓に建てられた幾つかの粗末な強制収容所に送られたのだ。

 

粗末なバラック小屋の絵が残されている

残されている絵を見ると、そんな場所でも男の子たちはホッケーをして楽しんでいた様子が伺える

 

今年はその悲史から数え75年目にあたる。今までに多くの個人的な体験記や家族の物語、または社会学者、歴史学者たちが事実を記述したことで、関係者以外でもこの歴史を知る人は多い。加えて1989年には当時のマルルーニ―首相によって、日系人桔7千人余人に一律21千ドルが個人補償として支払われ、また日系コミュニティーには復興のための資金が供出されるなどして一件落着したかに見えた。

 

だが当事の日系人たちは、強制収容直前には漁船、家屋、車を始めとする私的所有物のほとんどを政府勅令の保護下に置かれたり、また無理やり売り裁いたりした。しかし終戦後も49年まで法律によって西海岸地域に戻れなかった彼らは、結局すべての物がうやむやの内に没収されたも同然で、持ち主の手に戻ることは一切なかったのである。

 

人種差別が根底にあったこの史実は、金銭で補償されれば済むと言うものでないことは明らかだが、今までに個人的なレベルの調査以外に行われたことはない。

 

だが嬉しい事に、3年ほど前にこの問題に真正面から真摯に向き合い、チームワークによって出来うる限りの真実を掘り起こそうとする試みが、ビクトリア大学で開始された。プロジェクトは「Landscape of Injustice(不正義の風景)」と呼ばれるもので、Canada Councilその他から5.5ミリオンの予算を得て7年の調査期間を予定している。

 

4月末には、興味を持つ一般の人も参加できる現段階の調査報告会がビクトリア大学構内で開催された。

 

4月末ビクトリア大学で行われた中間報告の会合

 

関係者が地道に研究を続けていることが良くわかるものであったが、こうした試みは一重に日系カナダ人の過去の問題に焦点を当てるに留まらない。今世界を席巻している民族主義の風潮に釘を指す意味でも大変貴重なプロジェクトと言える。

 

研究チームの面々。学生も沢山加わっている

 

それにしてもオランダやフランスでの最近の選挙で、極右の政党が政権を取ることがなかった結果になったことは喜ばしい。

 

 

 

 

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