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バンクーバー島から    見たり聴いたり

トロント生活40余年の後に西海岸ブリティッシュ・コロンビア州の首都ビクトリア市に国内移住。新たな街からの生のニュースをバンクーバー発行の日本語誌「バンクーバー新報」に2017年より新連載。
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米新大統領とアメリカ・カナダの日系史

バンクバー新報 「V島 見たり聴いたり」 2月17日 記

 

  いま書いているこの記事が印刷されるまでに、あのホワイトハウスの新住人が次にどんな大統領令を発するか、また、すでに制定されているどの国際条約を撤回するか全く予測が付かない。先週には日米首脳会談が行われ、戦々恐々だったがまずは無事に終わったようだ。もちろん今後の予断は許せないし、会談の結果を世界がどのように見るかも分からない。

 

 ここに書くまでもなく、今後の彼の言動によって先行きの不透明感や不安感が世界を席巻しているものの、ご当人は表面的には引き続き得意満面で意にも介さない様子を見せている。とは言え、ホワイト・ハウス内は大変な混乱に落ちっていると言う。

 

 だが何しろビジネスマン時代には、法律違反すれすれで事業を展開することを何度も繰り返してきた人だ。

 

理が通ろうが通るまいが、「アメリカ(人)・ファースト」という大義名分ですべてを片付けてしまう。そしてバイブルベルト(アメリカの中央部)などに集中する怨念のある失業者たちから絶大な支持を得ている事に押され、反対する者は容赦なく切り捨てツイッターで個人攻撃の罵詈雑言を浴びせる。そこには指導者としての大局観など微塵もない。

 

  その一つが127日に出された難民やイスラム教徒の多い中東・アフリカ7ヵ国の人々に対する入国禁止令であった。移民国家の将来を憂える声をよそに、直後の世論調査では発令に賛成が49%、反対が41%と出た。

 

 だが数日後にワシントン州シアトル連邦地裁が、この大統領令の一時差し止めを命じ、すったもんだの末、今は七ヵ国からの人々が引き続き入国できることになり、米国の良心を見る思いがした。だが、これも一時的なことと思われる。大統領が次の一手をどのように持って行き、それがどのような混乱を招くか今のところ先行きは不透明だ。

 

 どれもこれも驚く大統領令だが、人種差別に当たる入国禁止令を聞いた時、私は反射的に日系人に対する戦時中の強制移動の史実を思い出した。これは当時の指導者ルーズベルトが出した「大統領令」で、それに呼応するかのように、カナダ政府も日本人移民とその家族たちをローッキー山脈のバラック小屋に送り込んだ。

 

 いま私は、カナダの西海岸を中心にした日系カナダ史「Gateway to Promise」という英語本の邦訳を、16人の訳者を得て出版に向けて日々精力を傾けている。

 

日本語訳が進行中の「Gateway To Promise」

 

 著者は白人夫妻で、自分たちの足で歩き、聞き取り調査をし、関係者にインタビューを試みて西海岸から始まった詳細な日系史を400頁にもなる本にまとめたのである。この中で特に心を打たれるのは移民たちの「家族の物語」で、ただ日本人、日系人と言うだけで善良な市民として暮らしていた人々「強制収容」と言う悲劇を乗り越えなければならなかったのだ。

 

 同じように敵国人だったイタリア人、ドイツ人には同等な扱いがなかったことを考えると人種差別以外の何物でもないことが分かる。

 

 それから75年後、アメリカで今回の大統領令が出された直後に、ケベック市に住む銃愛好家で「白人至上主義」の青年(28)がイスラム教のモスクで銃を乱射し6人を殺害した。

 

 アメリカに比べ、今はかなり移民に寛大なカナダでこんな事件が起きたことは痛感の極みである。 数日後国内の大都市では亡くなった人たちへのビジルが続き、ビクトリアでも市庁舎前に多数の人々が集まり犠牲者と関係者に哀悼の意を表した。

 

市庁舎前に集まった市民たち

 

掲げられた数々のプラカード

 

 

 

 

Helpsビクトリア市長もスピーチを行った。サポーターと話す市長(右)

 

 無知や狭量さからくる事件は痛ましい。

 負の連鎖を繰り返す愚かさを人々は歴史から学ばなければならない・・・、と書きながらも、その言葉が宙に浮いてしまう心もとなさを感じる。

 今後アメリカがどんな方向に動いて行くのかを想像すると、空恐ろしさを覚える。

 

ビクトリア島では、2人の日系二世の女性を除き全ての人が1942年4月22日にロッキー山脈の麓の強制収容所に送られた。

戦争が終わっても当市には一人の日系人も戻ってこなかったのだが、50年後の1992年8月4日に、生存者のうち67人がカナダの各地から集まりリユニオンを行った。このプラグはそれを記念して市庁舎の広場に掲げられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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