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バンクーバー島から    見たり聴いたり

トロント生活40余年の後に西海岸ブリティッシュ・コロンビア州の首都ビクトリア市に国内移住。新たな街からの生のニュースをバンクーバー発行の日本語誌「バンクーバー新報」に2017年より新連載。
41年前のトロントにタイムスリップ 
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コラム最終回


「カナダに何年お住みですか?」「いつ頃いらしたのですか?」と若い人によく聞かれる。「多分あなたが産まれる前だと思うわ。41年前よ」と答えると「うわ〜、まだ影も形もなかったな」「いや、もうこの世に存在はしてましたが・・・」など返事はまちまち。


カナダに来て以来、私は一貫してトロントに住み続けた。もし統計を取ったなら、物怖じせず街中を闊歩する「今時の若者」の方が、「その頃を知る年代」よりきっと多いに違いないと想像する。


ちょっと感傷的になりながら、トロントに到着した日のことを思い出してみよう。


それは1973年の10月半ばのある日で、私はヴァンクヴァーからの鉄道の長旅を終え、ユニオン駅に一人で降り立った。構内から一歩外に出て見上げた空はあくまでも澄み渡り、インディアンサマーと呼ばれる秋日和の美しい日で、キーンと冴えた空気に思わずブルッと身を震わせた。


迎えに来てくれたご夫婦は、私が日本で知り合ったカナダ人カップルの友人で、背の高い優しい目をした夫とコロコロとよく太った気のよさそうな妻であった。


事前に連絡していたとは言え、無事に会えたことで一安心。「市内をちょっと見たい?」との彼らの心使いに「Yes please」と私は即座に答えた。


カナダ移住以前の20代半ばで3年ほどの米国生活の経験はあったが、トロントは初めての街。車窓からの景色でまず驚いたのは、ゴミチリのたぐいが一つもない余りに清潔な街並みだった。


更に驚いたのは、到着したスカーボロの家に鍵が掛かっていなかったことだ。NYのアパート生活では、数個の錠前が常識だったが「だってここは空き巣なんて入らないから」との返事。


「これがトロントか」と思ったものだが、ダウンタウンに来て見れば、ダンダスとユニバーシティーの交差点からスパダイナ迄の数ブロックに広がる中華街は余り清潔とは言いがたかった。


すでに軒を連ねていたチャイニーズレストランの間に、日系人経営の食料品店、レストラン、旅行会社が一軒づつ店を構えていた。


もう一軒他の通りに日本レストランもあったが、それぐらいしか日系人の経営する商売はなく、昨今ラーメン屋や居酒屋が林立する街など誰が想像したろうか。


ダウンタウンではすでに地下鉄市電が走っていたが、それでも日本とは雲泥の差。だが車依存の北米社会の街としては、NYを除き画期的な都市計画だったのだ。


しかし一般のカナダ人のメンタリティーと言えば、まだ「寿司?生の魚を食べるの?」であったし、「日本って中国のどの辺?」なんて質問にも立腹せずに答えなければない時もあった。


買い物客は、誰もが一律に無味乾燥な白いビニール袋を提げて歩いており、バーの入り口には「Gentlemen」「Gentlemen & Escorts」などのサインさえも見え「えっ、女性は一人でバーに入れないの?」と驚愕したものだ。(もちろんそんなことはなかったのだろうが、ネオンに輝いたサインを今でもはっきりと思い出すことが出来る)


そして初めて迎える極寒の冬。東京辺りとは比較にならず震えあがったが、日に日に土地勘が磨かれると共に知人・友人の輪も広がり、お互いに40歳若かった頃に知り合った人たちとは今も友情を温めている。


当時から顔見知りの男性たちのオツムは押しなべて薄くなり、女性は毛染めをしたり胡麻塩頭。事業に成功した人、失敗した人。結婚・離婚・再婚・独身者、子供のいる人いない人・・・、それぞれの「人生劇場」は今も開幕中である。


これから40年先の日系社会はまた大きく様代わりしているだろうが、未来永劫絶えることなく続くことを切望している。


〜*〜*〜*〜


長い間ご購読頂きありがとうございました。

今回で「カナダ社会考」コラムに区切りをつけ私はBC州ヴィクトリアに移住します。

また文面やサイトにてお目に掛かれる日がありますことを!






| カナダ社会考 | 11:04 | - | - | - | - |
更なる力を入れる日本の英語教育 〜2020年に向けて〜
English Education


日本の文部科学省は6年前の2008年に、小学校の56年生を対象に「外国語活動」と称して英語教育を開始した。


それから3年後には、すでに97%の小学校で行われていた授業を必修にし、国の定めた教材を使って指導するようになった。それは教育の内容を標準化させるためで、週一時間の歌や遊びを通して英語で意思疎通を図ることを目的としいる。


もちろんそんな簡単な授業で、即「英語力の向上」を図ることが出来ると思うのはちょっと欲張りなこと。


案の定、日本における英語教育のエキスパートである立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科の鳥飼久美子教授も「週に1時間、英語で歌を歌い、簡単な単語を繰り 返しても児童が英語能力を身に着けるには不十分」と指摘する。(まったくの余談だが、この教授は若い頃テレビ出演の折りの颯爽とした姿に多くの人が憧れたものだった)


英語に限らず言語教育は長い目で見なければ結果は出ないものだが、6年前に外国語活動を導入した時に12歳だった子供はすでに高校生のはずである。


ところが2012年に文部科学省が無作為集出の50万人の高校生に行った調査では、58%が「将来留学したくない」で「留学したい」の42%を上回っている。理由は「言葉の壁」が56%、「外国での生活に不安」が34%となっている。


国はあの手この手で英語教育の見直してをいるが、変わらずに英語は苦手とする学生が多いことや、数年後のオリンピック開催を受け、2020年を目途に更に現教育制度を充実させることになった。


まずは学習開始学年を小学34年に繰り下げ、56年生は理科や社会並みに週3コマにして、現在中学校で習う読み書きも小学校で指導する予定だ。


日本で教鞭を執るある英国人教師は、すでに言われて久しいことだが、日本の英語教育制度はコミュニケーションスキルに重点を置いていないため、学生が一番苦労するのが総合力を見る問題であると指摘。


例えば、文章を読み、ディスカッションを聞き、賛否両論の意見を要約すると言った「言語的マルチタスク」に不慣れと言う。それを解決するには英語でコミュニケーション出来る力を小学校の頃から養うカリキュラムを開発するべきだ、とも。


とは言え、英語教育事業の大手E社によると、日本の成人の英語力は英語圏以外の60カ国の内26位で標準的レベルと言う。


隣国中国はと見れば、34位ながら「自己啓発と社会的地位向上のため英語は不可欠」と認識する人は多く、2011年には約34万人もが海外留学をしている。なるほど、カナダの街々で彼らと頻繁に遭遇するわけである。


一方日本では「今の生活に満足」或いは「10年後も満足だろう」と思う学生が76%もいるとのこと。


前記の「留学に興味無し」という高い数字と何処かで比例しているかもしれない。


ところで昨今の日本では、長年連れ添ったり、離婚の危機を回避した夫婦が行う「バウリニューアル」と言うセレモニーが人気とか。


いえいえ、このカタカナ英語は「再度お辞儀をする会」ではありませんので、念のため。






| カナダ社会考 | 05:02 | - | - | - | - |
日本政府ハーグ条約に正式署名  〜4月1日発効〜
 

ハーグ条約

ここで言うハーグ条約とは、「国際的な子の奪取の民事面に関する条約」のことで、国際結婚が破綻した時の子どもの扱い方を定めたものを指す。


1983年に発効され、現在世界の89カ国(201312月現在)で承認されている条約である。すでにこの欄でも何回か採り上げてきたが、今春日本政府が条約に正式に署名し、歴史的第一歩を踏むことになったのを受けて再度書きたいと思う。


日本外務省の公式サイトを見ると「124日,我が国は,条約の署名,締結,公布にかかる閣議決定を行うとともに,条約に署名を行った上で,オランダ外務省に受諾書を寄託しました。この結果,我が国においては,ハーグ条約は,41日に発効することになります(原文)」とある。


「いよいよ」と思うか「とうとう」と思うかは、当事者の立場によって異なることだろう。


長い間懸案だった条約の発効は、丁度1985年に、当時日本社会党副委員長だった土井たか子氏が、それまで「父系しか認めなかった国籍法」を、「母親も同等の権利を子に与えることが出来る」と法改正をおこなった時を思い出す。


新法がもたらす変動期を、身を持って体験することに、その時私は大きな感動を覚えたのを記憶している。


もちろん2つはまったく異なるものの、国際結婚や国際離婚に大きな波紋を投げる法律である点では同じだ。


ハーグ条約加盟の背景には、オバマ大統領やハーパー首相を始めとする欧米諸国からの「外圧」があった。


理由は、日本人の国際離婚が近年とみに増加し、日本人の親が配偶者の了解なしに子どもを連れて日本に帰国し居住地に戻らなかったり、また日本在住だった外国人夫/妻が、同様のことをするケースが多いためである。


だが興味深いのは、この新法は日本人同士の親にも適用される点で、もし一方の親が子どもを国外に連れ出した場合でも引渡し対象となる点だ。


4月からの導入では、外務省総合外交政策局を中央当局として申請書の受理・審査を行い、援助の決定や当事者間の協議の斡旋などを取り仕切る。


一方、東京と大阪の家庭裁判所は面会交流などに関与し、子どもを元の居住国に戻すかどうかの審理を集中して対応するという。


現時点の予想では、家裁への最初の申し立ては7月ごろと見ているが、紛争処理の詳細の規則、各種の注意事項など今後定める規定も多い。

また国と提携する民間の紛争解決機関を作る動きも本格化しており、「裁判外紛争手続(ADR)」と呼ばれるものがある。


家裁では日本語で審理が行われるため、言葉が理解出来ない外国人当事者が、もし代理人の弁護士を雇えば費用の面などで無理が生じる。そこで期待されるのが調停費用など原則無料とされるADRの活用である。


加えて東京弁護士会では、外国語が堪能な弁護士や識者による専門部署を設けて手助けする予定でもある。


当然ながら当事者が外国住まいの場合、頻繁に訪日するのは不可能なため、原則3回ほどで問題解決をする計画で、スカイプでの参加も可能にする処置も講じるという。


詳細は外務省「ハーグ条約の概要と日本の各種法制度」参照




| カナダ社会考 | 09:38 | - | - | - | - |
いい夫婦には「忍耐」が一番? 〜それとも魔法の言葉?〜
 いい夫婦

日本人というのは本当に語呂合わせが好きな国民だ。


それは日本語という言葉の成り立ちと大いに関係があるのだが、例えば「いいふうふ=1122日」というのがある。


これは1985年に政府の経済対策会議が11月を「ゆとり創造月間」としたことで、3年後にこの日を制定したのだ。

このネーミングの英訳は「Partner of The Year」で、毎年有名人の中から一組を選出する。(ここで即「この英訳なんか変!?」とお気付きの方はご立派!)


こうした行事に対する日本人の日本人たるところは、すぐに「いい夫婦ウォーク」「いい夫婦ボウリング大会」「いい夫婦川柳コンテスト」など続々と便乗組が現れ、さらにはそれ等のイベントをビジネスにまで発展させてしまう商魂の逞しさだ。


つまりこの日を当て込んで、花屋はバラを、宝石屋はジュエリーを、酒屋は美味しいワインと揃いのグラスを・・・と言った具合にプレゼント合戦が開始されるのだ。


お互いの気持ちを「物」に託すのは、コミュニケーション下手だと言われる日本人夫婦らしいと言えるかもしれない。


似たようなイベントは北米にもあり、バラク&ミッシェル・オバマ夫妻などがよく話題になる。(ちょっと信じがたいが)内向的といわれる大統領と、外交的なミッシェル夫人は最良の組み合わせと言われ、大統領も「彼女は自分になくてはならない存在」と何度も繰り返す。


夫婦がうまく行くにはこのように「魔法の言葉」が必要で、お互いに相手を褒めることは最も大切なことの一つのようだ。だが長らく夫婦をやっていると、そうそういい時ばかりはない。


日本の某調査(20代後半から40代)では、廻りのカップルに比べ自分たちがいい夫婦だと思っているのは87%にものぼるが、そうある為には、「我慢・忍耐が必要」と考える人が8割を超えている。


加えて言いたいことを我慢している割合は、女性が67%に対し、男性の方が我慢強いのか、81%という数字である。


だが子供が巣立ち、結婚当初のように二人だけの生活に戻ると、相手を子供の父親・母親としての役割の中でしか理解していないことに気付き、我慢のみでは解決しないギグシャクした関係になる例も多い。


もうロマンチックな相方ではなく、性格の違いや問題が浮上するのだ。


これは日本人ばかりの問題ではなく、去年7月のウォールストリート・ジャーナルには、そんなカップルが離婚には至らない解決法を見出した例が掲載されていた。


それはお互いの合意の上での「別居」という選択で、二人は8キロほど離れた場所に別れて住む決心をした。


とは言え週二回は妻の家で食事をし、4日はどちらかの家に泊まり、定期的に長い散歩をしたり外食も楽しむことを欠かさないそうだ。


これによって一緒に居る時間がより意図的になり、二人でいながら孤独だという苛立ちがなくなったという。


もちろん経費はかさむが、日々の生活を切り詰めてもなお価値があり「living Happily Ever After, Separately (その後もずっと楽しく暮らす、別々に)」の心境とか。


同様な状況では、家庭内離婚に陥る中年以降の日本人夫婦より、もし経済が許すなら、理想的な選択と言えるのかもしれない。





| カナダ社会考 | 05:15 | - | - | - | - |
自民一強・安倍政権の一年  〜高支持率で「慢心」か〜
 靖国・慰安婦

クリスマス直前の22日夜からオンタリオ州を中心に襲ったアイスストーム。


一時は25万世帯以上とも言われた停電で多くの市民が右往左往するなか、日本からは安倍首相の靖国神社参拝のニュースが飛び込んで来た。


今までも多くの首相たちが私人・公人として参拝しているが、安倍首相は内閣が発足して一年になる26日を選び公人として参拝を行った。


間髪を入れずに中・韓からの反発があったのは、もとより予測していたことだが、米国から「失望している」という強いメッセージが来たことは首相も予想外だったとか。


米国内の有力紙(ワシントンポスト、NYタイムズ、ウォールストリート・ジャーナル)は軒並み社説で非難の記事を掲載した。加えて時間を追うごとに、国連、EU連合、ロシア、さらにはユダヤ系団体までもが「遺憾の意」を表する声明を発表した。


安倍首相が参拝直後にモーニング姿のまま行った談話では「国のために戦い尊い命を犠牲にされたご英霊に対して、哀悼の意えお捧げるとともに、尊崇の念を表しみ霊安らかなれとご冥福をお祈りしました」と言い、米国からの反応には「しっかり説明していくことで誤解を解いていきたい」と強調した。


もちろん現在の繁栄した日本を作る礎になった犠牲者たちに、国の長として哀悼の意を表するのは当然である。だが問題の一番の根源は、この靖国神社には1978年以来A級戦犯14人が合祀されている点にある。


この戦犯については「戦勝国による極東軍事裁判で公平さを欠いていた」との意見がよく聞かれる。もし事実としても、彼らは会戦に踏み切り、軍人・民間人併せ日本人だけで300万人もの犠牲を出した張本人たちだ。昭和天皇でさえ合祀には強い不快の念を示した(故冨田朝彦元宮内庁長官のメモ)と言われる。


だが死者は平等に弔うとする日本人の宗教観から、今更彼らを摘み出すことは不可能とするなら、外国からの来賓も、どの宗教を信じる人も、 わだかまりなく参拝できる追悼施設の建設が急務ではないのか。


また日本は、終戦70年近い今も靖国問題のみならず従軍慰安婦問題も抱え、旧日本軍関与の有無が焦点になっている。


安倍首相がこんな詳細を知る由がないことは知っている。だがカナダでは中・韓の人権団体が元慰安婦らを招待するたびに、一般のカナダ人に向けての講演会を開き、また大学や高校も廻わる。


同時に旧日本軍の残忍行為を撮ったフィルムを1000 人以上もの学生に見せながら、元慰安婦の女性たちの叫ぶが如くの体験談を聞かせる。

そんな集会後には日系の子供たちが「Japanese are all rapists」と嫌がらせを受けているのだ。


最近の日本にはネトウヨ化(ネット上で右翼化の発言をする)の人々が多く、首相の参拝後のフェイスブックには、通常の15000件の「いいね!」を大幅に上回る3万件が4時間余りで超えたそうだ。


こんなことを書けば、私にいつものようにヘイトメールが来ることは容易に予測される。それでも恐れずに言えば、慰安婦問題に関しては、国や軍などの関与有無云々を超え「女性の尊厳」という立場から解決の糸口を見つけることは出来ないだろうか。


靖国問題も含め模索の道を探らなければ日本は孤立する一方だ。もちろん憂慮するのは私一人ではない

          〜*〜*〜*〜*〜

昨年11月、トロントに来たフィリピンの元慰安婦を迎えての集会でのスナップ。
若い中国系カナダ人、韓国系カナダ人の人権擁護団体がバックアップして集会を開いた。
こうした場所に日本人移住者、日系カナダ人の姿は皆無である。

フィリピン慰安婦

フィリピン慰安婦

フィリピン慰安婦


            


また今年に入り、1月10日にはトロント大学で:

Introducing Hearts of Pine:Songs of om the Lives of Three Korean survivors of the Japanese "Comfort Women" と言う講演会があった。

トロント大学芸術学部音楽学科の民族音楽学を専門とする Joshua Pilzer教授が、元従軍慰安婦の生き残りの3人の女性たちが共同で暮らす韓国のシニアホームを訪れ、彼女たちが民族音楽を心の糧としてどのように生き延びたかを調査したその体験を語った。

女性たちがトラウマになった若い頃の体験、その後1990年代の韓国の国家主義の高まりと共に、公共の場に頻繁に顔を出しスポットライトを浴びるようになったことで、様々な心の動きがあった。

そうした歴史の中で彼女らがどのように、survival, memory, traumatic experience, public culture, mass media, social practice と向き合ってきたか。そこに音楽がどのように関わったかという調査である。

慰安婦問題がこうした視点からも語られていることを、カナダ在住の日本人はもっと知るべきなのだが、ここにも日本人移住者や日系カナダ人の姿はなく、わすかにトロント大学の大学院で学ぶ2人の若い女性の姿があったのみだった。

靖国・慰安婦


靖国・慰安婦








| カナダ社会考 | 03:27 | - | - | - | - |
ノーベル文学賞受賞 カナダ人作家アリス・マンロー氏 〜現代短編小説の名手〜
   


今年のノーベル文学賞受賞者が、カナダの女流作家アリス・マンロー氏(82)に決まったことは、この国に住む者には心躍る出来だ。


発表後トロント市内の本屋では、早速、客の目に入りやすい場所に何冊か作品が並んでいたものの、半月ほど後にはすでに在庫が品薄で「いつ入るか分かりません・・・」と店員は言う。


日本のように商魂たくましくないのを知り「そうだ、ここはカナダだ」と思わず苦笑した。


アリス・マンロー


日本では今年も村上春樹氏が有力候補との下馬評が飛び交った。例年通り発表当日はファンたちが集ってニュースを待ったというが、マンロー氏に決まったことで受賞に至らなかった。


しかしこれはただの偶然だろうか。


ノーベル文学賞発表前の9月に、村上氏は気に入った幾つかの海外の短編を選んで編訳し、本人も一本書き下ろした恋愛小説集『恋しくて』の中にマンロー氏の一遍を挿入させている。


この女流作家はヒューロン湖近くの小さな田舎町で生まれ、やはり子供のころから文章を書くのを得意としていたが、大学生になってから本格的に作品を書き始めた。


二十歳で大学の同級生と結婚、3人の子供の出産、離婚、子連れ再婚など、紆余曲折の人生を歩みながら書いた作品はみな読みきりの小作品で「短編小説の名手」と呼ばれる所以である。


アリス・マンロー


もちろん世間の評価は高く、カナダ総督文学賞、ペン・マラマッド賞、WH・スミス賞、全米批評家協会賞、国際ブッカー賞、などなどキラ星のごとくの受賞暦で、そこに今回のノーベル文学賞が加わったのだ。


物語の多くは女性が主人公で時代はそれぞれだが、家族を含む身近な人々が登場する。一遍ずつ独立した話しに見えるが、数多く読み込むと他の物語とどこかでオーバーラップすることがある。


それゆえ「同じパターンで飽きる」との評も聞かれはする。


アリス・マンロー


だが作者の目線で見た人生、男女、老い、性、死など人間の普遍的なテーマを浮き彫りにして、細かい人間観察をしながら心理・状況描写を凝縮させて行く手法は卓越している。


物語の舞台はオンタリオやBC州が多いため、知っている地名や場所などが次々に登場し、カナダに住む者には親近感が増す。


氏の作品を元に2006年に映画化され大反響を呼んだものに「Away from her」(邦題:アウェイ・フロム・ハー 君を想う)があり、当時まだ27歳だったカナダの女優サラ・ポーリーの初監督作品だった。


44年間連れ添った仲睦ましい夫婦が、夫の大学教授退官後トロントの北に居を移し静かな余生を送っていた。


ある日夕食後の片付けで、水気を拭いたフライパンを何の疑いもなく冷凍庫にしまう妻に気付く。徐々に進行するアルツハイマー病をきっかけに変化していく夫婦像が切なく、身に染みる作品だ。


若いながら高齢化社会と、痴呆症の問題を真っ向から正視した監督は高く評価され、妻役には昔「ターリング」でアカデミー賞を受賞したジュリー・クリスティが演じ、ゴールデングローブ賞とNY映画批評家協会賞の主演女優賞を獲得した。


残念ながらマンロー氏は体調不良で今月10日の授与式には欠席と言う。(当日は、娘さんの一人が出席した)




| カナダ社会考 | 05:48 | - | - | - | - |
女性政治家には(ほとんど)無縁なセックス・スキャンダル 〜男性に多いのはなぜ?〜

 

 JFケネディ

話題沸騰のキャロライン・ケネディ氏が女性初の米国駐日大使としていよいよ今月半ばに赴任する。


今年は父親ジョン・F・ケネディ元大統領(以下JFK)が1122日にダラス(テキサス州)で暗殺されてから半世紀の節目の年。赴任直後の新大使に日本のマスコミが攻勢を掛けるのは必至だろう。


しかしそんな華やかな話題の裏に、最近JFKに関する2冊の本が出版され話題をよんでいる。


一冊は昨年春に出た「Once Upon a Secret: My affair with John F. Kennedy and its aftermath『(邦題「私はジョン・Fの愛の奴隷だった」)。


2冊目は今年8月の  These Few Precious Days: The Final Year of Jack with Jackie」(邦題「この貴重な数日間:ジャックとジャッキーの最後の一年」)である。

もちろんJFKに関しては政治や経済面から書かれた多くの出版物があるものの、この2冊は女性関係に焦点を当てたものだ。


前者は、1962年の春に、ホワイトハウスのプレスオフィスに学生インターンとして働き始めた著者(Mimi Alford)が、暗殺される1週間前まで続いた1年半の2人の関係を著したものだ。


半世紀も経って今更暴露本もないだろうと思われるが、当時19歳の大学生だった著者の回想録にはエロティックな描写などはほとんどない。


歴史上もっとも有名なリーダーの、一般には余り知られていない内面と、彼女が過去の出来事を享受し、家族のサポートによって長い間さ迷った闇から抜け出し真実を取り戻す姿が真摯な文章で書かれている。


また、2冊目はセックスシンボルとして名を馳せた、かの有名な女優マリリン・モンローを愛人としていたJFKと、妻ジャクリーンとの赤裸々な三角関係を、ダイアナ妃やヒラリー・クリントンなどに関する著書もあるノンフィクション作家が著している。


各方面で死後なお英雄視されているJFKだが、数多くの女性関係があったことは余りにも有名で、夫人の目を盗んでやりたい放題だった感がある。


この2冊のみを時代考察しても、今なお語り草になっているモンローがJFK45歳の誕生日にセクシーな声で「Happy Birthday President 」を歌ったのが5月、ミミの出現が6月、モンローの自殺が8月、そして翌638月に夫人は出産後間もない子供を亡くしている。


この間Mimiとの関係は継続されていた。


アメリカでは他にも、クリントン前大統領の幾多の女性関係も有名で、特に20才そこそこのホワイトハウスの実習生だったモニカ・ルインスキーとのスキャンダルは世界中に知れ渡った。


「ではお隣のカナダの政治家は?」と問われれば、やはり同様な事件はそれなりにあり、ピエール・ツゥルードー前首相と前夫人が話題を撒いた。


だが128月号のMACLEAN’S誌によると、政治家のセックス・スキャンダル事件は1933年から数えて8件で、世界的に話題をさらったものはないようだ。


それにしてもなぜ男性政治家にはこの手の話題が多く女性には少ないのか、の疑問には、715日のWSJ紙が「まだパワーの座にいる女性の数が少ないからで、その存在に我々が慣れるに連れて、権力の座にいる男性と同じような行動をとる女性たちを発見する公算が大きい」と書いている。




 

 

| カナダ社会考 | 22:34 | - | - | - | - |
キャロライン・ケネディ駐日新米国大使 〜話題大沸騰の新人事〜
 bits10/4


噂が噂をよんでいた人事がいよいよ現実のものとなり、米国から女性初の駐日アメリカ大使キャロライン・ケネディ氏(55)が赴任することになった。


919日には上院外交の公聴会が開かれ、彼女自身の言葉をもって日本に赴任するための包括的な所信表明演説を行った。


1時間ほどの会合で日本人の心を一番くすぐったのは、「日本以外の赴任は考えられない」の一言だったろう。


またケネディ元大統領が現職時代には日本への初の公式訪問を希望していたことも明かされ、暗殺から45年の節目にその意思を継承することになる。


この驚くような人選を新たな息吹と取る肯定論、外交実務の経験が皆無なための不安論などすでにそれぞれの専門家によるあらゆる分析がなされている。


しかし彼女は、7月のオバマ大統領による正式指名以来、関係者から日米関係やアジア情勢を集中的に学び、赴任への準備をおさおさ怠りなくしているようだ。


周知のようにオバマ大統領による人選の最大の理由は、2008年の選挙でいち早く彼を支持したことが大きい。


となれば、必要な時は即大統領と電話で話せるような緊密な関係にあるわけで、それは大使になる人に求められる最重要条件という。


カナダからこの一連のニュースを見聞きして思うのは、日本のメディアが無闇にオーバーヒートすることなく、成熟した一人の女性大使として対応して欲しいという点だ。


また女性の立場から願うのは、日本の男社会に彼女のリベラル感覚を持って風穴を開けて欲しいと切に思う。


何しろ以前には「バチカン大使に」という要請もあったが、向こうから断られた理由は彼女が余りにもリベラルであるためと言われるくらいで、同性婚、妊娠中絶、人種問題に前向きな女性である。


恐らく日本への赴任後すぐに見抜くであろう事は、政治の場での女性の数の少なさだろう。カナダも決して多くはないがそれでも連邦政府の女性議員は25%。


かえりみて日本は7.9190カ国中163位)で、政府指導の「〜審議会」「有識者による〜公聴会」等々の場に女性は常にチラホラ。


これは巷の一般企業でも同じだがわずかな明るい兆しは、5月に日本政府がやっと重い腰を上げ、女性の社会進出を後押しするために、全上場企業の女性管理職の登用状況を公表する方針を固めたことだ。


すでに離任したルース前米国大使も、5月に岩手県盛岡市で開催された経済同友会の全国セミナーで「日本に望むこと」として強調したのは、起業力強化、若者の国際化、そして女性の活用であった。


学生時代は成績優秀だった高学歴の女性たちが、いまだに結婚や出産で退職してしまう事実。


また北米の日系企業の現地採用者が不思議がり、私も「どうしてか?」とよく聞かれる「日本男性は人前で妻を決して褒めない」とするメンタリティー、ビジネス界でも見られる土下座の風習・・・。


新大使が日本社会をトコトン理解するのにどれほど掛かるか興味深い。


とはいえ、彼女も父親が現職だった頃ジャクリーン夫人の目を盗んで次々と女性関係を持った家庭で育っている。長じてそれを知らないわけはない。


国のトップと色恋沙汰・・・それは来月に廻そう。





| カナダ社会考 | 06:18 | - | - | - | - |
「グループリビング」という選択 〜日本・高齢化社会へ向けての知恵〜
 coco湘南台

第二次世界大戦後に急激に増えたベビーブーマー(団塊の世代)の人口が多いことは、世界的な傾向で、カナダも例外ではない。


カナダ統計局によれば、2031年までにはこの世代の人口は全員が65歳以上になり、現時点の倍に膨れ上がると言う。さらに201521年頃には14歳以下の子供の人口を上回り、これは史上初めてのことと予測されている。


だが周知のように、カナダは移民を受け入れることで若い人口を取り込めるが、「カナダ経験不足」の為に即就業とならないなどの問題がある場合も多く、シニア人口減少の妙薬を手に入れるのはそう簡単ではない。


一方世界的に知れ渡っている日本の少子高齢化は言われて久しく、統計上の数字だけでなく、訪日の度に街中のシニアが増えていることを実感する。


今回は極暑の8月に訪日したが、用事で訪れた図書館での光景には驚いた。冷房があるため勉学する学生が半分を占めているのは分かるが、後の半分近くは「シニアの男性」であった。「夏に限らずリタイアした夫が家にいると目障りで妻が追い出すのよ」と友人は冗談交じりに言う。


では男性より数年長生きする女性たちは、将来自分の身をどのように処するのだろうか?


そうしたことが盛んに人々の口に上るようになった10余年前に、神奈川県湘南地方でシニア対象の「グループリビング(GL)」というNGOの施設を立ち上げた西條節子さんという女性がいた。


COCO湘南台

書かれた多数の本の一部


ホームの名は「COCO湘南台」といい、長い準備期間を経て大変な努力の末に実現させた。シニア社会の到来は頭では理解していても、中々重い腰を上げない行政を尻目の活躍ぶりが大きな話題になった。筆者は非常に興味をそそられ訪日の折に取材させて頂いた。


その時から11年。その後の発展はネットで追って知ってはいたが、今夏再会した西條さんは85歳ながら変わらずにお元気で、今もホーム運営の中心的役割を担っている。多少難聴気味だが頭脳明晰で自室(一人15畳)の半分はオフィスに使い、そこここに書類が一杯で日々の忙しさは一目瞭然。


COCO湘南台

今も大活躍の西條節子さん


今は同じNGOの運営で近隣にもう2ヶ所のホームがあり、

一ヶ所の収容人員は10人前後である。入居の制限はほとんどないが、一時金370万円ほどが支払い可能で、月々の雑費込みの経費15万程度を賄う経済的能力があることが最低条件。


だが「まったく知らない人と同居する」となれば人柄などが共同生活に向くかどうかは大事なポイントだが、人生の終焉まで共に暮らせる。


ホームは99年の開始以来、14年経った今もホーム内は非常に清潔で、それぞれが個室で自由な空間をエンジョイし、外出日以外は夕食を共にして顔を合わせながら楽しく食事ができる。(外注に加え入居者が協力して献立を盛り立てる)

COCO湘南台

キッチンの一部  


coco湘南台

入居者全員が日に一度は揃って食べるダイニングルーム


coco湘南台

きれいに並べられたお盆。次の食事での出番を待つ


日本人の謙虚さとお互いを思いやる雰囲気に溢れているのが見て取れ、穏やかに「幸せです」とおっしゃる入居者の一人の言葉が耳に残る。


GLというコンセプトに興味を持った筆者は、その後トロントにあるカナダ人の類似のホームを幾つか見学したことがあるが、個人主義が反映してか、和気合い合いと言った雰囲気からはほど遠かった。


COCO湘南台」のようなGLがトロントの日系社会にあったらどんなに素敵だろう!

URLhttp://www.coco-shonan.jp/index.html


coco湘南台

事故防止のために毎晩2人一組で入浴する


COCO湘南台

何処もここも隅々まで掃除が行き届いている


coco湘南台

日に一度は自室から出て郵便受けをチェックする


coco湘南台

廊下に飾られた手作りの作品の数々





| カナダ社会考 | 03:54 | - | - | - | - |
セクハラ、逆セクハラ、ロマンス、不倫・・・ 〜話題尽きない職場での諸々〜

セクハラ


夏も真っ盛りの昨今、女性にとってはストッキングなしの夏服は軽やかで嬉しい。


特に金曜日のビジネス街は「ジーンズ出勤Ok」という不文律があり、明日から週末という雰囲気を盛り立てる。しかし中には「ここまでやるか?!」と思うほど大胆な人もいて、男性と言わず目のやり場に困ることがある。


カナダでは制服がある会社は、クーリエサービス、郵便局、航空会社などごく限られており、一般の会社には余り厳しい規定はないようだ。一応常識の範囲内ということのようだが、そのためか、時にはど派手なマニキュアに驚かされたりすることがある。


最近某銀行でゴテ爪のテラーに応対された。「その爪素敵だけどコンピューターのキー打てる?料理は?洗濯は?」と矢継ぎ早に聞いたら「ぜ〜んぜん平気」との返事。見ればギリギリのミニスカート。


そんな職場は男性に取って楽しいかと思いきや「仕事場と言う雰囲気がそがれる」と言うカナダ人男性もいる。


だがそんなことを口にしようものなら、即セクハラと言われるかねないため「口にはジッパーをかけている」と本音も吐露。北米でセクハラ問題が社会で語られ始めたのは70年代で、女性をじろじろ見たり、体型、服装、私生活などを話題にするのは「環境型セクハラ」と呼ばれるようになった


一方日本では、1987年に女性が駅で酔っ払いに絡まれ、突き飛ばしたところに電車が入り男性が死亡。女性であるが故に起こった事故で正当防衛として無罪だったが、これが日本初のセクハラ裁判であったと記憶している。

日本の総務省が先月半ばに発表した12年の就業構造基本調査によると、1564歳の生産年齢人口の女性の有業率は63.1%という。


職場で働く女性を取り巻く環境に細かい配慮が益々必要になってくるであろう。しかし最近は遠慮のない中年女性が、若い男性社員をつかまえて逆セクハラまがいの言動も散見されるそうだ。「被害者はいつも女性」と言うステレオタイプの考えを払拭しなければならない。


既婚未婚を問わず女性の就業率が多くなれば、良きにつけ悪しきにつけ職場での男女間の問題も多発する。

WORKPLACE


上の写真はそんな話題をトロントのメジャー紙が採り上げ、レイアウトした過去の紙面である。読者の目を引くことは確実だが、日本に比べメディアにおける表現の自由に幅があると見るべきか、節操がないと言うべきか迷うところだ。


記事は「男女のロマンス」についてで、NYにある大手の出版社、ハレクイーン出版社が14世紀もの間毎年行っている調査の結果報告である。


近年はコンピューター、携帯、フェイスブックなど様々なテクノロジーの発達で、秘密裏に恋の駆け引きが出来るのは洋の東西を問わない。


去年の調査によると、1840歳の女性の40%は機器を使ってセックスを案にほのめかす「sexting」というテキストを送ることもいとわないといい、27%の女性は自分のヌード写真を送ったことがあると告白。怪しげな関係も簡単に助長できる。


とは言え、男性を魅力的と感じるポイントには変化がなく、ユーモアのセンス、素敵な笑顔がトップ。加えて言葉に多少のアクセントがあること、だそうだ。

(日本人男性よ頑張れ!)

 

 

 

 

 

| カナダ社会考 | 06:19 | - | - | - | - |