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バンクーバー島から    見たり聴いたり

トロント生活40余年の後に西海岸ブリティッシュ・コロンビア州の首都ビクトリア市に国内移住。新たな街からの生のニュースをバンクーバー発行の日本語誌「バンクーバー新報」に2017年より新連載。
「幼児性愛」という犯罪

 

 私は自分の意志とは全く関係なく、生まれてすぐに幼児洗礼を受けカトリック信者になった、というより、させられた。父方の祖母が大変に敬虔な信者で、嫁である母もまたアイルランドから送られた尼僧の先生方が教鞭を執るカトリック系の女学校に通ったことから、英語やフランス語と共にキリスト教を学んだのだ。

 

 そんな環境であったから、私は小学校の高学年になると授業が半日で終わる土曜日の午後(当時は半ドンと呼んだ)に教会に行き、公教要理という聖書の「お勉強」をさせられた。

 

 今は観光名所としてとみに有名な、横浜の外人墓地から少し離れた山手教会が所属であった。神様のお話はとても為になった筈だが、今覚えているのは「神は何である」「愛である」という禅問答のような教え一つである。

 

 何故文句も言わずに通ったかと言えば、理由はただ一つ。行けば貰えるマリア様やキリスト様の描かれた名刺大の聖画や、「メダイ」と呼ばれるロザリオに付ける小さな飾りのメダルのようなものを集めるのが楽しかったからなのだ。丁度その頃の男の子が「面子(メンコ)」を集めていたように、私は教会からの頂き物を大事にしていた。

 

 そんな時期、村岡花子さんが「赤毛のアン」を翻訳しておられ、上梓されるたびにお小遣いをはたいて買っていた。言って見れば私はアンの筋金入りのオリジナルファンで、それは文句なく読書の楽しみを与えてくれたシリーズ本であった。

 

 ところがある日いつも行く本屋の片隅に、顔見知りのイタリア人の神父が身を屈め食い入るように何かを見ている姿に出会った。それはポルノ関連の雑誌が置かれている場所で、子供は暗黙の内に決して近づいてはいけない一角だったのだ。

 

 私はまるで自分がとんでもない悪事を働いたかのような気持ちになり、慌てて本屋を後にした。以後教会では、同神父に出会うのをひたすら避けたのである。

 

 もちろんそれだけが原因ではないが、長ずるにしたがってカトリックという宗教に何か相入れない違和感を覚え始め、祖母や母の嘆きをよそに教会に行くことをきっぱりと止めた。今なら「神父と言えども一人の男か・・・」と思えるが、子供にそんなことは理解できない。

 

 そして今、ニュースになっては消え、消えては浮かぶカトリックの神父による児童への性的虐待報道を見るたびにこの思い出が蘇る。女性の裸体ポルノを見るのと、列記とした犯罪である幼児性愛に違いはある。後者は大方の場合男の子が被害者で、幼い男児は誰にも言えず悶々と悩み、人生さえも棒に振るケースが多いと聞く。

 

 だがこうした事件は今も世界各地の教会で後を絶たず、バチカンはその都度口外しないことを条件に和解金を払い、加害者の神父を他国に移動することで事件を隠蔽し続けてきた。とは言え、そんな醜聞はものともせず、世界のカトリック信者数は12億もいるとか。

 

 残念ながらこうした幼児性愛事件は、カトリックの神父に限った事ではない。スポーツクラブの指導者、またカナダの場合は、昔ファーストネーションの子供たちが無理やり親元から離されて寄宿舎に入れられ、被害に遭ったという話をよく耳にする。

 

 ではカトリックの聖職者の場合は、何を持って事件を食い止められるのか。結婚制度がないことが大きな問題だとの意見も多い。だがそこには、余りにも深い暗黒の闇が広がっているようで、簡単な解決法があるかは疑わしい気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

| - | 04:55 | - | - | - | - |
国旗と戦没者慰霊塔

 

今年のカナダ・デー(71日)は丁度土曜日にあたり、建国150周年を迎えるにふさわしいロングウィークエンドの始まりの日だった。

 

 

国中がお祝いムードに包まれ、ビクトリアも好天気で赤白のメープルリーフの国旗が至る所ではためいた。

 

観光シーズンの真っ最中でもあり、ダウンタウンは大変な人出。夜10時半頃から始まった花火大会で気分は最高潮になったが、それはほんの10分ほど続いただけで「おやまあ、この程度の花火は日本なら何処か小さな市町村でも見られるわぁ・・・」なんて内心思ったものだ。

 

 

まあ、そんな意地の悪い見方はさて置いて、特別な祭典のある時期には公共の場にひと際その数が増す、スッキリとしたデザインのカナダの国旗が私は大好きだ。

 

だが当地の新聞によると、近年カナダ・デーに一般市民が自分の家の前庭や窓などに飾る旗の数は、以前に比べ減少傾向にるあるとか。理由は分からないそうだ。

 

 

しかし世界広しと言えども、これ程国旗らしい国旗も珍しいと思うし、何と言っても一目で印象に残る。

 

国旗がはためく世界の祭典オンピックでいつも感じるのは、各国の国旗が並んでも色の配合がゴッチャになり一般の人には区別が付きにくいことだ。

 

例えば「フランス・ロシア・オランダ」「イタリア・ブルガリア・ハンガリー」など並び方が異なるだけで同系色の配合である。北欧の国々に至っては、基本のバックの色が違うところに色違いの十字が配置されている。それぞれの色に意味があり、国民の思いが込めらているのだろうが何処の国の旗か容易には分からに。

 

シンプルで人の記憶に残る図柄と言えば日本の国旗も負けてはいない。真ん中の赤は「日出(いず)る国」を意味するものだが、これは聖徳太子が遣唐使に託した文書に自国をこのように書いて以来の言葉だとは、遠い昔に歴史の時間で習ったのを思い出す。

 

 

一般に「日の丸」と呼ばれる旗の正式名は「日章旗」。日本にはこれ以外にもバックの色が赤で日章旗の真ん中の赤の代わりに菊の紋章が入る「天皇旗」とか、朝日が輝いているように見える「旭日旗」等などがある。不幸にも先の大戦での負の記憶がゴッチャに交差して、特にこの「旭日旗」には今でも不快感を表す日本人や近隣諸国の人々がいるのは確かだ。

 

後一ヶ月で日本は815日の終戦記念日を迎える。国旗と対になって毎年話題に上るのが政治家たちによる靖国神社参拝だ。今年はどの人が参拝するのだろう。

 

終戦記念日ではなかったが、昨年暮れには外交・安全保障政策を担う現職閣僚である稲田明美防衛大臣が靖国神社に参拝し物議をかもした。来月早々には内閣の改造が行われる予定で、稲田明美防衛大臣の解任が決まっている。

 

 

申し訳ないが、あの程度の容姿でも国際会議の講演の冒頭、一緒に居たオーストラリアとフランスの女性の国防省(当時)と自分の容姿について「good looking」と自画自賛する愚かさや、立場の認識に欠ける浅はかな人が去るのを惜しむ声はないだろう。

 

カナダでは首都オタワに1936年に建設され、その後幾つもの戦争で犠牲になった人々も加えられている慰霊塔がある。

 

 

国のために戦った兵士たちを弔うのは真に持って当たり前のことだが、靖国神社ではそれが素直に行えない。周知の通り、理由はA級戦犯(太平洋戦争の責任を負った罪人たち)7人が祀られている(遺骨はない)からである。それ故に国賓も今生天皇も参拝しない。

 

2015年の総務省の発表では、戦後生まれ(昭和20年以降)が8割になったと発表した。戦争の記憶が薄れる前に新たな場所に国立の無宗教慰霊塔造り、誰もがわだかまりなく参拝出来る場所を建設すべきではないかとつくづく思う。

 

 

 

 

 

 

 

| - | 00:27 | - | - | - | - |
生まれ変わった公園

 

ビクトリアの街を訪れたことのある人の多くは、この町の「清潔さ」にまず気付づくようだ。かく言う私も、活気はあるもののきれいとは言い難いカナダ最大の都市トロントから3年前に国内移住した時、まず驚いたのは公共の場のちり芥の少なさだった。

 

美し海に囲まれた町

 

とは言え小規模ながら、ここは州議事堂のあるBC州の州都。

 


国会議事堂の夜景

 

場所によってはゴミも散乱しているし、当然(!?)ながら、ホームレスも居れば麻薬中毒患者がうろつく一角もある。

 

夏を迎える季節になると彼らに関する負のニュースが目立ち、市民に注意を促す記事がメディを賑わす。それは学童たちが公園でエキササイズや各種のアクティビティを行い、また週末には音楽祭を始め野外での催し物が開催されることが多くなることで、公園で寝泊まりするホームレスの問題が再燃するからだ。

 

彼らが捨てる使用済みの麻薬の注射器などが草むらで発見されるなども市民のいら立ちを募らせる。先日はある小学生の女の子が捨てられた針に刺された事件が報告された。

 

都会であれば必ず聞かれるホームレス問題。一年程前までは、ダウンタウンにあるBC州裁判所の裏手に広がる庭に、200 人近い人々が群がり住んで「テントシティ」を呼ばれるコミュニティを形成していた。

 

州裁判所(遠景のビルディング)の裏庭を陣取ったテントシティ

 

騒音、麻薬、売春、不潔な生活からはびこる大ネズミの発生等など、悪の温床と化した場所から彼らを立ち退かすのに関係者たちは躍起になった。

 

反対側にあるカトリック教会

 

もちろん追い出すだけでは問題解決にならないことから、市は彼らの生活の立て直しのために、古い建物や学校を改築するなど2600万ドルもの資金を投入し、一時的/半永久的な低賃金の住宅を提供した。

 

だがこれで問題が一掃したかと言えばNOである。何しろ当市は国内では一番温暖なため、寒冷地のエドモントやカルガリーの某機関は、自分たちの街からホームレスを追い払うためバスの片道切符を渡して追い出すようなこともしている、などの噂も流布されるほどである。

 

ではテントシティ跡はどうなったかといえば、日々子供の歓声が響く遊園地へと大変身した。

 

生まれ変わった公園(遠景に州裁判所)

 

汚染された土を50センチも剥ぎ取り、ダンプトラック75台分の新たな土が運ばれ、何本ものあった大木が切り倒され、子供の身に危険がないように視界が利くことに配慮された。〆ての費用は35万ドル。

 

生まれ変わった公園(遠景にカトリック教会)

 

まさにイタチごっこの感があり、ホームレス問題は今までも、そしてこれからも決して消滅することはない成熟社会が背負い続ける永遠の課題であると言えよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

| - | 11:35 | - | - | - | - |
不正義の全景

 

 

2017 年のカナダは建国150周年を迎えているため、関連の行事が各地で繰り広げられている。この記念すべき一年は、また日系カナダ人や日本人移住者たちに取っても非常に意味のあるエポック・メーキングの年である。

 

まずはカナダ移民第一号と言われる永野萬蔵が来加してから140年目に当たるのだ。しかし最近の歴史家の調査によると、もっと信憑性のある新説も唱えられ萬蔵説に多少陰りも見える。

 

だがこれは驚くには当たらない。歴史とは常にそういうものであるが、今の所はまだ長崎県口之津の小さな漁村出身の19歳の若者が、1877年にカナダに一歩を踏んだパイオニアと言うことになっている。

 

同時期には同じように、漁村、農村の長男以下の若い男たちが仕事を求めカナダにやって来た。その後一応仕事が安定してから写真婚などで女性たちを呼び寄せ、家族を形成しカナダの日系史が徐々に積み重ねられていった。新開拓地ではその多くが農業や漁業に従事し、真面目に働き生活を築いたのである。

 

しかし残念なことに、1941 128日に母国日本が、第二次世界大戦に参戦し真珠湾を攻撃したことで、米国ばかりではなくカナダの日本人移民たちの生活も一変した。つまり一夜で「敵国人」となってしまった彼らは、政府の命令で19422月までに、ロッキー山脈の麓に建てられた幾つかの粗末な強制収容所に送られたのだ。

 

粗末なバラック小屋の絵が残されている

残されている絵を見ると、そんな場所でも男の子たちはホッケーをして楽しんでいた様子が伺える

 

今年はその悲史から数え75年目にあたる。今までに多くの個人的な体験記や家族の物語、または社会学者、歴史学者たちが事実を記述したことで、関係者以外でもこの歴史を知る人は多い。加えて1989年には当時のマルルーニ―首相によって、日系人桔7千人余人に一律21千ドルが個人補償として支払われ、また日系コミュニティーには復興のための資金が供出されるなどして一件落着したかに見えた。

 

だが当事の日系人たちは、強制収容直前には漁船、家屋、車を始めとする私的所有物のほとんどを政府勅令の保護下に置かれたり、また無理やり売り裁いたりした。しかし終戦後も49年まで法律によって西海岸地域に戻れなかった彼らは、結局すべての物がうやむやの内に没収されたも同然で、持ち主の手に戻ることは一切なかったのである。

 

人種差別が根底にあったこの史実は、金銭で補償されれば済むと言うものでないことは明らかだが、今までに個人的なレベルの調査以外に行われたことはない。

 

だが嬉しい事に、3年ほど前にこの問題に真正面から真摯に向き合い、チームワークによって出来うる限りの真実を掘り起こそうとする試みが、ビクトリア大学で開始された。プロジェクトは「Landscape of Injustice(不正義の風景)」と呼ばれるもので、Canada Councilその他から5.5ミリオンの予算を得て7年の調査期間を予定している。

 

4月末には、興味を持つ一般の人も参加できる現段階の調査報告会がビクトリア大学構内で開催された。

 

4月末ビクトリア大学で行われた中間報告の会合

 

関係者が地道に研究を続けていることが良くわかるものであったが、こうした試みは一重に日系カナダ人の過去の問題に焦点を当てるに留まらない。今世界を席巻している民族主義の風潮に釘を指す意味でも大変貴重なプロジェクトと言える。

 

研究チームの面々。学生も沢山加わっている

 

それにしてもオランダやフランスでの最近の選挙で、極右の政党が政権を取ることがなかった結果になったことは喜ばしい。

 

 

 

 

| - | 06:38 | - | - | - | - |
カナダ建国150周年

 

 

 

 

周知の通り今年はカナダ建国150周年である。

 

 首都オタワや文化の中心地であるトロントでは、町を挙げて創意工夫を凝らした数々の催し物が用意されており、一年を通して次々と賑やかに開催される予定である。もちろん大都市に限らず、至る所で関連行事が繰り広げられるが、そのための予算は中央政府と地方自治体から出ている。

 

 行事は多義に渡っており、アンテナを張っているとビクトリアでも興味あるプログラムが幾つも用意されているのが分かる。

 

 今月初旬Inter-Cultural Associationと呼ばれる行政機関が開催した「I’ve not always been Canadian」もプロジェクトの一つで、私は大変に興味を持って参加した。

 

Victoria 市内のある教会の建物の地下にあるoffice。最近はシリア難民の姿が目立つ。

Victoria市民は温かくうけいれるのだが、仕事がた易くは見つからないのが難点であると言われる

 

 移民としてカナダに来た市井の人々の声を救い上げようというのが、イベントの趣旨である。だが面白いのは「この大陸に昔から住む先住民以外は、当国で生まれようが、外国から移り住もうが元をただせばすべてが移民」という視点を運営委員の人達が持っていることだ。そのため「カナダ人」として生を受けた人たちにも今回は門戸を開いてのイベントであった。

 

 集まった人数はグループとしてまとめ易い30人ほどで、高校生からシニアまでと年齢層も幅広く、半年前にビクトリアに到着した人から半世紀以上も住んでる人までと色々。性別では男性が30%程であった。

 

 こうしたイベントを遂行するには必ず一定の決まりがあるが、ここでも相手の意見を賛成・不賛成にかかわらず尊重し寛容であること。また中傷を含む個人的な悪口などを言わない事などが前もって言い渡された。

 

 プログラムは椅子に座って意見交換をするのみでなく、時には全員が立ち上がり、混ざり合うことで出席者との横の繋がりを持った。パントマイム形式のパーフォーマンスーマンスを披露したり、また小さなグループに別れてテーマに沿って意見を出し合うこともする。

 

 どれも興味深い内容で、特に個々の移民体験談には心打たれるものが多く、それぞれが苦闘しながら新たな国に溶け込む努力をしていることに感銘を受けた。

 

 そして最後に出されたテーマは:

  1. 自分をカナダ人だと思える時は?  
  2. 自分をカナダ人だと思えない時?
  3. 自分をカナダ人と自覚した時は?

などの質問で、壁に貼られた紙に自分の思いを自由に書き込むことが出来る。

 興味深い答えを幾つか拾うと:

  1. 人種の違う人、異なった宗教を信じる人、普通の概念の性別に当てはまらない人に出会った時。鼻毛が凍る時。ホッケイを観に行った時。
  2. 沢山の失業者がいる中、会社のCEOがミリオンものお金を稼いでいると聞く時。ホッケイが好きになれないと自覚した時。
  3. カナダのパスポートを得た時。選挙が出来た時。“Eh”と普通に言えるようになった時。

 このイベントには重ねての会合があるのだが、すべてのまとめは1123日に市内のRoyal BC Museumで発表される予定である。

 

 それにしてもこうした地道な活動を通して、移民の国の移民たちに更なる思いを寄せようとする公共機関の試みには敬服する。と同時に、隣国のツイッター大領の顔が折々に浮かんだのが私一人ではなかったのが分かったのも興味深かった。

   

 

 

 

  

 

| - | 07:42 | - | - | - | - |
ビクトリアの日本人・日系人コミュニティ

 

カナダ広しと言えども、ビクトリアほど教会の多い町はそれ程ないのではと思う。町が小さいからそんな感じを受けるのかと思ったが、調べてみると確かにここにはchurchと名の付くものは180ほどもあることが分かった。

 

Victoriaのダウンタウンには、マリファナの喫える喫茶店の向こうにさえも教会の塔が見える

 

この中には、教会がエスニック・コミュニティの中心になっているものも多い。例えばポルトガル人、ギリシャ人などが良い例で、夏に催される「〜祭」などに行ってみると年齢層の幅は広く老若男女が入り混じっている。彼らの生活には教会と言うものがしっかりと定着しているように見えるが、それでもシニア層は若者の教会離れを嘆いている。

 

若者が多い教会のポルトガル人のパレード

 

ギリシャ人のお祭りにも若者の姿が多い

 

一方、白人の多いキリスト教系の教会に行き参列者を後ろから見ると、白髪、薄毛、染め毛のシニア達がほとんど。それらの人々の合間にごくごく僅かに就学前の小さな子供連れの中年カップルがいる、というのが今日の(少なくともビクトリアでの)教会のあり様のように見受けられる。

 

当地に長く住んでいる年配のカナダ人と話していると、週日でも「今日は教会の何々があって手伝いに行く」と言うようなことを頻繁に口にする。煎じ詰めれば「シニア=教会活動」という構図になり、善意のボランティアによって教会というのは成り立っているのだと改めて知るのだ。

 

では日本からの移住者、日系人はどうかと言えば、小規模ながら彼らが集まる教会は存在するものの、そこが「コミュニティの中心」にはなっていない。周知の通り一般的な日本人は特定の「宗教」を持たず、結婚式は「教会」、子供のお宮参りは「神社」、人生の終焉は「お寺」ということに何の違和感もない国民である事を考えれば、ムべなるかなと思う。

 

では当地の日本関連の団体にはどんなものがあるかと言えば、英語中心の日系人グループ、日本語中心の移住者グループ、子供が日本語学校に通っている親のグループの三つである。だが日常的な横の繋がりは余りないようだ。

 

私的な推察だが、その最大の理由はバンクバーやトロントのように、バックグランドや世代を問わずに集える特定の場所がないことにあると思われる。町の公民館を借りての「お正月会」や「カルチャル・フェア」には、カナダ人・日系人・移住者たちがかなりの数集まる。

 

日系人・日本人移住者の集まるお正月会

 

太鼓の演奏

 

それを考えると、場所さえあればもっとまとまったコミュニティを作り、カナダ人に向けて「日本文化発信の要所」として活動出来ると思うのだ。

 

この島は「午後のハイティー」の風習が今も根強く残るほど英国風で、それを人々はとても誇りにしている。カナダにいてそんな雰囲気を楽しめるのは嬉しい事である。

 

午後のハイティーを供するレストラン

 

一方、ここは太平洋の向こうは日本という地理的条件や、「犬も歩けば国際結婚の日本女性にぶつかる」と言われるほど若い人材がいる町でもある。にも関わらず、語学力もある 彼女たちの持つ潜在能力を発揮出来る場がないのはとても残念である。

 

夫を通してカナダ社会に溶け込んでいるのは真に結構ながら、移住者に取って母国を忘れることは決して出来ない。満たされない思いを里帰りで埋めてしまうのは実に勿体ないことだ。

 

 

 

 

 

 

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米新大統領とアメリカ・カナダの日系史

バンクバー新報 「V島 見たり聴いたり」 2月17日 記

 

  いま書いているこの記事が印刷されるまでに、あのホワイトハウスの新住人が次にどんな大統領令を発するか、また、すでに制定されているどの国際条約を撤回するか全く予測が付かない。先週には日米首脳会談が行われ、戦々恐々だったがまずは無事に終わったようだ。もちろん今後の予断は許せないし、会談の結果を世界がどのように見るかも分からない。

 

 ここに書くまでもなく、今後の彼の言動によって先行きの不透明感や不安感が世界を席巻しているものの、ご当人は表面的には引き続き得意満面で意にも介さない様子を見せている。とは言え、ホワイト・ハウス内は大変な混乱に落ちっていると言う。

 

 だが何しろビジネスマン時代には、法律違反すれすれで事業を展開することを何度も繰り返してきた人だ。

 

理が通ろうが通るまいが、「アメリカ(人)・ファースト」という大義名分ですべてを片付けてしまう。そしてバイブルベルト(アメリカの中央部)などに集中する怨念のある失業者たちから絶大な支持を得ている事に押され、反対する者は容赦なく切り捨てツイッターで個人攻撃の罵詈雑言を浴びせる。そこには指導者としての大局観など微塵もない。

 

  その一つが127日に出された難民やイスラム教徒の多い中東・アフリカ7ヵ国の人々に対する入国禁止令であった。移民国家の将来を憂える声をよそに、直後の世論調査では発令に賛成が49%、反対が41%と出た。

 

 だが数日後にワシントン州シアトル連邦地裁が、この大統領令の一時差し止めを命じ、すったもんだの末、今は七ヵ国からの人々が引き続き入国できることになり、米国の良心を見る思いがした。だが、これも一時的なことと思われる。大統領が次の一手をどのように持って行き、それがどのような混乱を招くか今のところ先行きは不透明だ。

 

 どれもこれも驚く大統領令だが、人種差別に当たる入国禁止令を聞いた時、私は反射的に日系人に対する戦時中の強制移動の史実を思い出した。これは当時の指導者ルーズベルトが出した「大統領令」で、それに呼応するかのように、カナダ政府も日本人移民とその家族たちをローッキー山脈のバラック小屋に送り込んだ。

 

 いま私は、カナダの西海岸を中心にした日系カナダ史「Gateway to Promise」という英語本の邦訳を、16人の訳者を得て出版に向けて日々精力を傾けている。

 

日本語訳が進行中の「Gateway To Promise」

 

 著者は白人夫妻で、自分たちの足で歩き、聞き取り調査をし、関係者にインタビューを試みて西海岸から始まった詳細な日系史を400頁にもなる本にまとめたのである。この中で特に心を打たれるのは移民たちの「家族の物語」で、ただ日本人、日系人と言うだけで善良な市民として暮らしていた人々「強制収容」と言う悲劇を乗り越えなければならなかったのだ。

 

 同じように敵国人だったイタリア人、ドイツ人には同等な扱いがなかったことを考えると人種差別以外の何物でもないことが分かる。

 

 それから75年後、アメリカで今回の大統領令が出された直後に、ケベック市に住む銃愛好家で「白人至上主義」の青年(28)がイスラム教のモスクで銃を乱射し6人を殺害した。

 

 アメリカに比べ、今はかなり移民に寛大なカナダでこんな事件が起きたことは痛感の極みである。 数日後国内の大都市では亡くなった人たちへのビジルが続き、ビクトリアでも市庁舎前に多数の人々が集まり犠牲者と関係者に哀悼の意を表した。

 

市庁舎前に集まった市民たち

 

掲げられた数々のプラカード

 

 

 

 

Helpsビクトリア市長もスピーチを行った。サポーターと話す市長(右)

 

 無知や狭量さからくる事件は痛ましい。

 負の連鎖を繰り返す愚かさを人々は歴史から学ばなければならない・・・、と書きながらも、その言葉が宙に浮いてしまう心もとなさを感じる。

 今後アメリカがどんな方向に動いて行くのかを想像すると、空恐ろしさを覚える。

 

ビクトリア島では、2人の日系二世の女性を除き全ての人が1942年4月22日にロッキー山脈の麓の強制収容所に送られた。

戦争が終わっても当市には一人の日系人も戻ってこなかったのだが、50年後の1992年8月4日に、生存者のうち67人がカナダの各地から集まりリユニオンを行った。このプラグはそれを記念して市庁舎の広場に掲げられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「YVR新報」新連載 V島 見たり聴いたり

Jan 19, 2017,

 

No.1 シニアの定義

 

 

 何年カナダに住んでいても、クリスマスの賑やかな行事の後に来るお正月が、たった一日の休日であることに物足りなさを感じる日本育ちの方は多いことだろう。

 

 とは言え、最近の日本も新年とは言っても昔ほどではないと聞く。それでも、あののんびりとした「三が日」の雰囲気は離れるほどに懐かしく思い出される。

 

 それを味わいたくて、常より高い飛行機代を払って訪日する人も多い。今年も親、兄弟姉妹、親しい友人たちとの再会で楽しい時間を過ごした人はいい思い出が出来た事だろう。

 

 一方久し振りに実家に帰って、親の「老い」という現実に驚いた人も少なからずいるようだ。友人のS子さんもその一人。この23年仕事が忙しく連絡はもっぱらeメール、Skype、国際電話でやり過ごしていた。

 

 母親はしばらく前に夫を亡くし今は一人暮らしだが、まだそんなテクノロジーを使えるからと、S 子さんは心の片隅で安心していた。だが現実は非情で、お正月に久しぶりに会って忍び寄る加齢に正直驚いたという。

 

 

 今はまだ日本の厚生省が定義している健康寿命「社会生活(学業・就労・運動など)を営むうえで制限のない期間」の範疇に入る。だが、これからも続く母親の独居生活、一人っ子である自分の立場を思うと「途方に暮れる・・・」と憂鬱そうだ。

 

 すでに何度も考えたことだが「カナダに来てくれないだろうか」との思いがまた頭をかすめる。父親が健在の頃から移住を勧めたが、決して首を縦には振らなかった。言葉は通じないし、第一住み慣れた日本を離れる気はないと言われ、それ以上押すことは出来なかったのだ。

 

 S子さんの様に一人っ子や、また子供の配偶者とうまく行かない親が日本にいる外国暮らしの子供の心配は、かなり深刻のようだ。

 

 日本は新年早々に、日本老年医学会が高齢者の定義を「75歳以上」にすべきと提言した。昨今は元気なシニアが多いのを受けてのことである。現在65歳以上は27%だが、もし75歳に引き上げると13%と半減するそうだ。しかしそうなると年金支給齢も10年遅くなることに繋がるかもしれないとか。

 

 それぞれお国柄があるのは分かるものの、同医学界は加えて6574歳を「准高齢者」、90歳以上を「超高齢者」等と区別して命名している。だがどうしてこんな区分をしなければならないのか、カテゴリー別にすることでそこに入らない人が優越感に浸りたいからなのか、まことに不思議で理解に苦しむ。

 

 また最近日本からのニュースで痛ましいのは、高齢者のブレーキとアクセルの踏み違い事故である。車社会のカナダも高齢者の事故は少なくないが、BC州では80歳になったら2年ごとに簡単な筆記試験があり、医者からDMERDriver’s Medical Examination Report)と呼ばれるお墨付きの書類を貰いRoadSafetyBCに送らなければならない。

 

 

 何しろ広い国だし、町のど真ん中でさえ交通機関が日本ほど発達していないことを思えば運転免許は欠くことの出来ない「必需品」なのだ。

 

 ビクトリアは国内で一番温暖なためリタイア後の移住が多く、シニアの人口は18.4%で海を渡った本土のケロウナ市は19.2%である。確かに全国平均の14.8%よりは高いが、それでもG8の国の中でカナダのシニア年齢層は最下位である。

 

                     〜*〜*〜*〜*〜

 

上記の記事は一月から始まった「バンクバー新報」の新連載「V島 見たり聴いたり」に掲載されたものです。記事の執筆からメルマガ掲載迄に10日ほどの時間経過があることから、内容に多少の変更が加わることもあります。

 

バンクーバー新報のサイト:

http://www.v-shinpo.com/columns/mitari-kiitari

 

 

 

 

 

 

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トロントのソプラノ歌手・柳田孝子さんのコンサート 〜日本の最南端の地で開催〜

 

トロントを中心に活躍する日本人のソプラノ歌手と言えば、すぐに思う浮かぶのが柳田孝子さん。すでにその名を知っている人は多いだろうが、10月末にJRが通る日本の最南端である鹿児島の枕崎市で当地二回目のコンサートを開催した。3年前の初回が成功裏に終わりファンからの「再度の開催を!」に答えてのイベントであった。

 

枕崎

 

経緯を知らない人には「トロントのソプラノ歌手が何で日本の最南端で?!」と思うだろうが、これは鹿児島出身でトロント在住の移住者SHさんの肝いりであった。

 

枕崎

コンサートを企画したトロントのSHさんと抱き合って成功を祝った

 

枕崎はカツオ節の生産が日本一を占め、それを受けて「カツオ節と太陽のまち」がキャッチフレーズの活気ある漁師町。その賑わいに比例して、文化関連の行事にも力を入れており、意外性のマッチングが人々を引き付ける要因になっている。

 

枕崎

市の職員のジャケット

 

枕崎

枕崎から最近フランスにカツブシ工場が進出した

 

機械化されたカツ節工場

枕崎

 

事実街中には、1988年から始まった「青空美術館」と呼ばれるアートストリートが幾筋もあり、石、ブロンズ、アルミなどで創作された大小100以上の彫刻が点在している。

 

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3年に一度のこの芸術展には、日本国内はもとより、アメリカ、イタリアなど12か国もの国々からの出品がある。造形作家たちの思いの丈を表現した作品が文字通り青空のもとに永久展示されており、それを見るだけでも当地を訪れる価値がある。

 

枕崎

 

そんなユニークな街での柳田孝子さんのコンサートは、900枚の切符が完売という盛況振りで、澄んだソプラノの歌声と、鹿児島で活躍するピアニスト寺薗玲子さんの伴奏に酔いしれた一夜であった。

 

両氏ともウィーンへの留学経験があり、そのハーモニーは絶妙で日本の作曲家中田喜直、山田耕作などの曲を始めとして、シューベルト、ヘンデル、オッフェンバッハの歌曲など休憩を挟んで23曲を歌い切った。

 

枕崎

 

熱狂的な拍手で終わった後のアンコールには、震災復興支援ソングで知られる「花は咲く」も含まれていた。

 

観客も和したが414日の熊本地震の記憶が新しい九州地方では事のほか心に染みる一曲であった。「次回は熊本で!」との声もあり今後の更なる活躍を期待したい。

 

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市内から見渡せる開聞岳

 

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鹿児島はどこもコクのある焼酎でも有名である

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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英国王室の若いカップル カナダ・ビクトリア市を訪問

すでに一か月以上も前のことになるが、英国の若きローヤルカップルが幼児二人を連れてビクトリア市を始めとするカナダの西海岸地域を訪れたのは9月末のことであった。

 

R Visit

 

子供連れで外国を訪問するのは初めてとのことで、当地ビクトリアのフィーバー振りは大変なものであた。

 

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当然ながら新聞は毎日 「Royal Visit」の記事で持ち切り

 

R Visit

 

勿論このニュースはカナダだけに留まらず、日本でも即ニュースになったとのことで、東京の友人からは「見に行った?」「写真と同じに素敵なカップル?」などのメールが舞い込んだ。

 

残念ながら当日のビクトリアは、雲一つない「カナダ晴れ」ではなかったものの、夕方まで何とかお天気を持ち越すことが出来た。

 

専用機から降り立ったカップルは、写真を見ただけでも、予想にたがわず「良きパパ/ママ振り」を地で言った感じではあった。だがケイト妃が下の娘を腕に抱き、あの高いハイヒールで手すりに摑まることもなくタラップを降りる姿には、ヒヤヒヤとした人は多かったのではなかろうか。

 

私は熱心な「皇室ワッチャー」ではないので分からないが、公の場でウィリアム王子が下の子供を抱き、上の子供(ジョージ王子)の手を引く姿というものを見たことがない気がするが、時にはそんな場面もあるのだろうか。

 

これが欧米の普通の家庭なら、力のある父親が子を抱っこするのは当たり前と思えるのだが・・・。

 

まあそんなことはさて置き、ご夫婦の一般人への最初のお出ましはビクトリア州議事堂前の広場だったが、当然ながら厚い人垣で埋め尽くされた。

 

R Visit

人人人・・・で、とても目に見える所には行けない

 

早い人は当日の夜明けから、レッドカーペットの敷かれた両側に陣取り、コーヒー、サンドイッチ、スナックを用意して、12時間以上も待ったとか。西海岸周辺の町々からはもちろん、アメリカのシアトルや遠くはコロラド州のデンバー辺りからわざわざ来た人たちもいたという。

 

R Visit

何処もここも警官だらけ

 

 

R Visit

おやおや、慌ててポップコーンを議事堂近くの道にばらまいてしまった!

でもポリス二人は怒るでもなく笑って見守っていた。

 

ここでちょっと斜めに構え、「そんなにも二人を見たいかね・・・」などと皮肉っぽいことを言ってはいけない!自分の目でその姿を見ることなどもう一生涯ないかもしれないとなれば、持参の毛布で暖を取り近くのトイレに通いながら、芝の上で頑張る人がいるのはのも無理からぬこと。それが庶民と言うものである。

 

メディア関係で長いこと仕事をして来た私には、こうした熱狂的なローヤル・ファンがいることなど何も耳新しいことではなく、「たった12時間の待ち時間で済んだの?」なんて思ったものだ。

 

R Visit

「もう待ちくたびれた〜!でももう少しの辛抱だ〜・・・」

 

R Visit

ゲイカップルも仲良く肩寄せ合って待っている

 

にもかかわらず、私自身はどうしたかと言えば、二人の州議事堂到着予定が5時ごろなら「まあ、必ず遅れるから、一時間も前に行けばいいだろう」などと高を括って4時ごろにノコノコトと現場に行ってみた。

 

原稿を書く予定があったため、その雰囲気や熱気を感じながら待っている人に少しインタビューでもしようと思ったのだ。

 

また広場には巨大スクリーンが設置され二人の姿を追うため、遠くからでも州議事堂の前でどんな儀式何が行われているか理解出来るとの情報を信用したのである。

 

ところがである!

 

現場に行ってみて驚いたのは、人垣は当然予想していたものの、設置されたスクリーンはまことに小さく、しかもレッドカーペットの片側に一か所しかないのである。

 

R Visit

レッドカーペットのそばに行けない人はこれで我慢を・・・

 

運悪く私はその反対側にいたため、「な〜に、これ!?」と言った思いを感じずにいられなかった。

 

とは言え、レッドカーペットを歩く背の高いウィリアム王子の頭のてっぺんだけは、かろうじて人垣の間から見ることが出来た。識別がた易すかった理由は読者のご想像にお任せしよう。

 

それでも一連の式次第を見届け車に戻ったら、「駐車違反」の紙が降り出した小雨に濡れてバンパーに挟まっているではないか!何と$60.00とのこと!

 

 

誰のせいでもない自分の過失ではあるが、他に持って行きようのない不満が渦巻いたことは言うまでもない。ショック

 

後日市庁舎で「異議申し立て」の申請用紙に、道路の交通規制のため違反をしなければならなかった理由を長々と書いて提出したが、さて、判事はどう判断するだろうか。

 

R Visit

宿泊先のBC州総督の館であるGovernment Houseの準備の記事から、ダイアナ妃の過去の記事、そして当然ながらケイト妃のファッション迄連日新聞を飾った

 

〜*〜*〜

 

11月25日(金)後日記:

 

駐車違反をし、それに対する異議申し立てをしてから2ヶ月ほどの月日が経過している。その後「結局、異議申し立ては通ったのですか?」とblog読者からの質問が来ているため結果をご報告したい。

 

答えは、残念ながら「NO」でした。

どんな理由があれ「駐車違反は駐車違反」と言うことで、$30.00の罰金を払わされた。まあ、誰が悪いわけでもなく、「自身の過失であったわけだから」と自分を納得させて素直に支払い、1件落着となったのである。

気にかけて下さった方、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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